子どもの頃から言われ続けた「我慢しなさい」
みなさんは「我慢の限界」って、どこだと思いますか?
子どもの頃から、親や先生に
「それぐらい我慢しなさい」
と言われ続けた経験、ありませんか?
私も何度も言われてきました。でも、昔からずっと思っていたことがあります。
それは、「我慢の限界って、人によって絶対違う」ということです。
我慢の限界は人それぞれ
例えば、人から馬鹿にされたとき。
- すぐ言い返す人
 - 何も言わずに流す人
 
この2パターンがあります。
でも、言い返さない方が立派なんでしょうか?
そもそも、人から馬鹿にされている時点で、我慢する必要があるのでしょうか?
職場での「当たり前の我慢」に疑問
社会人になると、職場での不当な扱いや理不尽な要求に対しても
「ある程度我慢するのが普通」
みたいな空気がありますよね。
でも、私はここにずっと疑問を感じています。
なぜ「我慢すること」が前提になっているのか?
我慢とはなんなのでしょうか?
確かに、人が成長するために必要な我慢もあるかもしれません。
けれど、その判断を誤れば精神的に病むのは時間の問題です。

実体験:我慢の果てに心を壊した
私自身、我慢を続けすぎた結果、心を病んでしまった経験があります。
大きい我慢もあったと思いますが、原因は1つというより色々積み重なっていってどうしようもなくなった感じです。それくらい我慢しろというものを色々我慢し続けていった結果だと思います。
そして残念ながら、いまだに100%回復していません。
「我慢レベル」を客観的に数字で測れたらいいのですが、そうはいきません。
結局は本人の感じている苦しさで判断するしかないのです。
同じ出来事でも反応は違う
例えば、仕事で同じストレス要因があったとします。
- Aさん:全く気にしない
 - Bさん:強いストレスで体調を崩す
 
この場合、Bさんに
「それぐらい我慢しろ」
と言うべきでしょうか?
答えは簡単ではありませんが、少なくとも「Aさんが大丈夫だからBさんも大丈夫」ではないということです。
我慢には2種類あると思う
1. 成長につながる我慢
- 勉強や練習での地道な努力
 - 短期間の忙しさに耐える
→ 明確な目的や期限があり、終わった後にプラスになる我慢 
2. 自分を壊す我慢
- 職場での不当な扱い
 - 理不尽な暴言やパワハラに長期間耐える
→ ゴールも改善の兆しもなく、心身を削るだけの我慢 
どちらも「我慢」という言葉でくくられますが、中身はまったく別物です。
「それぐらい我慢しろ」の危険性
この一言は、
- 相手のストレスレベルを軽視する
 - 限界に近い状態を見逃す
 - 精神的ダメージを悪化させる
 
危険性をはらんでいます。
特に職場や学校での人格否定やパワハラでは、我慢=耐え続けることは正解ではありません。

我慢するかどうかの判断軸
自分にこう問いかけてみましょう。
- その我慢には明確な期限や目的があるか?
 - その先に自分にとってプラスになる未来があるか?
 - 心や体に悪影響を与えていないか?
 - 本来耐える必要のない理不尽ではないか?
 
もし前半2つがYESで後半2つがNOなら、それは成長につながる我慢かもしれません。
逆に後半のどちらかがYESなら、すぐに距離を取る選択肢を考えましょう。
あの上司の「我慢論」
私が以前勤めていた会社の上司は、よく
「俺は新人の頃、毎日上司に怒鳴られても我慢した」
と武勇伝のように語っていました。
でも、その人の部下は次々に辞めていきました。
本人に悪気はなかったのかもしれませんが、過去の自分の我慢を他人に押し付ける危険な典型例でした。
なぜこの話題を選んだか
このテーマは、私の実体験と、周囲の人が我慢で壊れていくのを見てきた経験からです。
「我慢は美徳」という空気の中で、多くの人が無意識に自分をすり減らしている現実を感じてきました。
ここで気づいたこと
- 我慢は「全て美徳」ではないし「全て悪」でもない
 - 他人と同じ耐性を求めるのは危険
 - 苦痛を感じている時点で、見直すべきサイン
 
今日一つだけ持ち帰ってほしいこと
成長に必要な我慢と、自分を壊す我慢を見分ける力を持とう。
それだけで、自分の心と体を守る可能性がぐっと高まります。
Q&A
Q:我慢が成長につながるかどうかは、どう判断すればいいですか?
A:目的や期限が明確で、終わった後に達成感やスキルが残るなら成長につながる可能性が高いです。逆に改善の見込みがないなら危険信号です。
Q:自分が弱いから我慢できないのでは?
A:それは間違いです。耐性は人それぞれ。弱い・強いではなく、誰にでも耐えられないことはある。
人によってストレス耐性や得意・不得意は違います。
例えば、大きな音に強い人もいれば、苦手な人もいる。高所が平気な人もいれば、足がすくむ人もいる。この差は「強い/弱い」でなく、個性や特性の違いです。